a Message

年をとるということはどういうことなのか。

 

小学生の頃、高校生の自分が想像出来なかった。

 

僕が小学生の頃は月曜夜19:30からのコナンとその後の世界まる見えがものすごく楽しみで、食事中はテレビをつけない我が家のルール上、月曜日はとにかく早く食事が済んで欲しかったことが懐かしく思い出される。

 

そんなコナン君、つまり工藤新一が小学生の頃の、いわゆる「高校生」であり、高校生とはやんちゃでかつすごくオトナな考え方をもっている人種だと思っていた。

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また、当時姉が完全版を持っていた矢沢あいの代表作の一つである、「天使なんかじゃない」のアキラこと、須藤晃にも相当なインパクトを与えられていた。

 

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この右端が須藤君。超リーゼントで時代を感じるぜ…

 

つまり、小学生の頃の高校生像とはいわゆる工藤新一であり須藤晃であったことで、高校生とはほぼオトナみたいなもんでイケメンで女の子にモテると認識していたため、あと数年でその域に達しているだろうという自分が、小学生当時の自分からは想像が出来なかったのである。

 

中学に入り、高学年になって高校生という存在を意識して初めて、アレは漫画の世界なんだと実感した。

 

 

高校生の頃、二十歳の自分が想像出来なかった。

みんなも経験あると思うけど、二十歳ってオトナな感じするじゃん?

ってか大学生になってたり、働いてる人だっているわけじゃん?

 

男子校で掃除をじゃんけんで決めて学校の帰りに小豆味とかキューカンバー味のペプシを開けて飲んでまっず!!とか言いながらがっちがちの制服ライフを謳歌してた当時の自分からは、「オトナである(はずの)二十歳」が想像付かなかった。

 

お酒とか私服で共学とか、マジで何じゃそれ?ぐらいに思ってたので、後数年で二十歳、みたいな実感が無かった。これは19になっても無かったように思える。

 

二十歳になって、気づいた。

 

これはひょっとして30になっても、あるいは60とかになっても「実感ないわー」とか思うんじゃないだろうか?

オトナになることってそんなに大切なことなのだろうか?

ある面では必要なことかも知れない「オトナになること」というのが、実は結構な足かせとなっていて、そのせいでやりたいことに自分で見切りをつけたり、年齢を理由に挑戦すらしなくなったり、自分や周りに対する言い訳にしたりしているんじゃないだろうか?

そう思った時、「コドナ」という表現をとある本の中で見た。

 

これだ、と思った。

 

オトナの振る舞いが出来つつ、コドモ感覚で物事を純粋に楽しめる。

 

これこそ最強じゃね?

 

そんなことを思い、僕は純粋であること、自分に正直でありたいと思うようになり(つまりコドモ)、他人の気持ちに寄り添い、配慮が出来、些細なことでも感謝をわすれない、ありがとうという気持ちを常にもてる人間(オトナ)になりたいと思うようになった。

 

それからは、頑固になったと思うけど、その分やりたいこととか、「自分」というものがすごく明確になった。と思う。

 

 

先日のことだけど、親友が誕生日を迎えた。

誕生日とは本人の誕生日であり、同時に両親(特に母親)の記念日でもあると思う。

 

 

どうか今までのように純粋でくそガキで探究心の固まりのような22歳としての1年を過ごして欲しい。それでいて今まで以上に当たり前のことを大切に出来るような豊かな人になって欲しい。

 

心から、22歳のお誕生日おめでとう。人生に幸あれ。