思うこと、あるいは、今日思ったこと。

”将来の夢はなんですか?”

物心つく前から、そして今日にいたるまで、僕たちは問われ続けてきた。
その度に、ある時は特別何も考えず、またある時は大人の望むようなことを先読みして考えて、いずれにせよ何らかの答えを提示していたと思う。
もちろん、それに対して本気で目指せるならそれは全く構わない。
ただ、俺はこの質問そのものが、とにかく嫌いである。

あんまりこういう嫌いとか悪いとか、そういうことを言いたくはないんだけど、たまにはこういうブログも良いよね。

“目標をもって!”とか、”ゴールを決めて!”みたいな言い方も好きではない。
もちろん、それに合うような人もいるから全否定するつもりはないけれど、でも、やはり嫌いだ。同様に、”何になりたいの?なにがしたいの?”も、ダメだ。
相手が学生以上にしかしてはいけない質問だと思う。

何故か。

それは、そうやって子どもの頃からひたすら聞かされ答え続ける禅問答を繰り返すことで、細胞レベルで「結果が全て」と叩き込まれてしまっているように感じるからだ。

もちろん過程も尊重されないわけではないだろう。
ただこれは、

結果>>>>過程


くらい極端な図式が導きだされ易いんじゃないかと思ってしまう。
そりゃ口ではみんな「そんなことないよ、過程だって大事だよ」というだろう。
しかし、同じ口が「で、なんになりたいの?」とか聞こうものなら、それこそダブルスタンダードだ。矛盾している。

そうやってちょっとずつちょっとずつ追いつめられながら育って、ちょっとずつ目標達成出来ないことを知らしめられていく中で、自分はダメなんじゃないか、劣っているんじゃないかっていう意識が植え付けられてしまうんじゃないかと思う。

俺は基本的にそういった不完全な部分も含めて人間だと思ってる。
そこも含めて受け入れたい。
俺も受け入れて欲しいしね。

何が言いたいかっていうと、甘いと言われるかも知れないけど、過程こそが大事で、その結果思うような成果が出なくても、それはそれで財産になるんじゃないかと思う。
もちろん、その結果は甘んじて受けなければならないと思うけど。
だからこそ、出来る範囲の中で、その日その日に何がしたいかの積み重ねこそが大事だと俺は思う。

だからこそ、俺はこれからは、少なくとも子どもには、「今日なにしたい?」って聞きたい。
そういう積み重ねこそが大切だと思うから。