大切なこと
食べ物を大事にすることとと、愛する人(や他の愛する生き物)を愛することと、自分を愛することは、お互いが深く関係し合っていて、どれかが抜けてもだめだと思っている。
食べ物を大事にすることとは、加工品であれば何が入っているかを考えることであり、生鮮食品であればどこ産のどういう作られ方をしたかを考えることであり、酪農食品(なんて言い方あるのかな?)であれば、どれだけ消費者の健康を慮って作ったかを考えることなんじゃないかな。
ふと思ったんだけど、
「〜はいやだ、〜は食べない」っていう言い方を、俺はずっとしてきたけど、なんとなく違和感があった。
「〜を選ぼう」「〜を食べよう」っていう言い方のほうが、同じことを言っているかもしれないけど、明るくて良い気がする。
今これを書きながら思った。
どの食べ物であれ、そういう本当の意味で頑張っている生産者を選んでお金を払うことが、全てにおいて「為になる」のだと思う。
自分のため、他者のため、地球のため。。
愛する人を愛するということは、相手の立場になって考えて、何が本当の意味で相手の為になるのか、を考える事だと思う。
そこではできる限り自分の価値観を挟んではいけない、と思う。
特に、「これをすると不幸になる」だの「これをしないと幸せになれない」だのは「あなたのためを思って言ってるの!」というのは、大嘘だから聞く耳を持つ必要はないと思ってる。
ただただ、支配欲求を強めているだけの、屈折したエゴだ。
愛する人が困っていたり、明らかに道を外そうとしている時に、手をさしのばしたり、一緒になって考えてあげたりすること、また、寂しい思いをさせないことや、頑張ろうとしている時に背中を押してあげることが、愛するということなのかなと思う。
愛するということは、時には厳しい言葉になることもあるのかもしれない。
とにかく気をつけていることは、自分本位にならないこと。
相手にとって本当にそれが必要か、相手が求めているものかどうかを考えることを心がけている。
そして、間違ってると思ったら間違ってると言うし、こちらが間違っていたら謝る。
相手が家族であれ友達であれ恋人であれ、同じことだ。
自分を大切にするということは、自分の気持ちに嘘をつかず、自分はどうしたいかをきちんと考える事だと思う。
他者の評価ばかりを気にして生きることほど意味のないことはない。
結局それは他人が思い描いた虚像を演じているだけに過ぎないし、言うならば、そうしていれば良いでしょ?あなたは満足なんでしょ?という甘えと、他人を見下していることにもなる。
誰かがやらなきゃその場が回らない!のだとしても、それはそうしなきゃ回らないそのシステムそのものがおかしいのであるから、その時その瞬間どうしようと、遅かれ早かれにっちもさっちもいかなくなる。
システムそのものが変わらない限り、結局は堂々巡りなんだと思う。
少し話はズレたけど、自分をのことを考え、大切にすることができないのに、どうして他人のことまで考えられるのだろうか?
自分を大切にしてこそ、愛してこそ、他人を大切にできるのだと俺は思う。
自分を愛することが、他人を愛することにもつながる。
自戒を込めて。
読んでくれてありがとう!
また!