お熱
小生、久々に風邪をこじらせました。
今回のピークは9度近くでたのかな?
公式記録は8度8分だけど、それよりだるかった時もあったんだけどびびって計りませんでした。w
だいたい年に1〜2度こうやって高熱を伴う風邪を引きます。
喉の痛みから始まって、やばいぞやばいぞと思っていたらお次は熱が出て、寝苦しくなって初日は寝れず…みたいな感じで2日目を迎え、熱がピークを迎え汗が出始めると共に喉の痛みが少しずつ和らいできて、汗をかききると熱も少し落ち着く…みたいな感じです。
昨晩は意外とよく寝れたなぁ。
とはいえ9時前に布団に入ったあと家族全員が部屋に戻る音は聞いてるからそんなに早くは寝れなかったんだけどね。
だいたいそうね、23:30くらいに1度寝ついた…のかな?
で、夜中の2時前くらいに起きて体温計って一喜一憂しつつお水を飲み、そっからは結構寝れた!
次起きたら8時過ぎだったので、風邪ひいたわりによく寝れたと思う!
この後は痰がからんだり咳が出たり鼻水が出たりしてくると思うんだけど、どれも死んだウイルスやらなんやらを体外に押し出す役割なので、無理に止めないようにします。
身体が頑張った証拠✨
やっぱ、こうやって年に1度熱とか出すと、自分を省みるよ。
ああ、無理してたなぁとか、食事の仕方ひとつとっても心ここに在らずでご飯食べたりとか、あんまり良いことはしてなかった気がするもん。
- てめぇふざけんなってことで、一気にバァーン!!と出たのだと解釈しておりまする。
こんな機会もなかなか無いので、色々と調べてみたんだけど、風邪をひいたらあんまり食べないことみたい。
消化に使うエネルギーってバカになんなくて、それを全部治癒にまわせるから、風邪をひいたら食べるな、とのこと。
その代わり治ってきたなぁと思ったら滋養のあるものをしっかり食べる!
そのバランスが大事みたいです。
まぁ、昨日は食欲も無かったしお昼にお粥食べてからは何も食べなかったんだけど、思えば最近間食ばかりしてたから、これも良い機会なのかなぁと思ったり。。
ウイルスと共に溜まった老廃物とかもがっつり燃やしてくれるので、風邪も悪いことでは無いんですよ〜ってことを学びました。
とはいえひかないにこしたことはないんだけどね!!笑
ひかないにこしたことはないけど、ひいてしまったら無理に薬で熱をさげたり咳止めをしたり下痢止めをしたりせず、出すもんは全部出し切った方が、身体にも良いし早く治るよ!ってこと。
あと、熱出過ぎるて超ハイになることあんじゃん?笑
あれも治ってる証拠みたいよ笑
なんか、治癒に伴って副交感神経が働いて
気持ち良くなるんだってー笑
身体って不思議だよね。
ってなことを調べつつ、昨晩は苦しんでおりました。
そんなこんなで只今の体温、37.3度
微熱レベルまでは落ち着いてきたので、今日と今晩がっつり休めて、明日しっかり治った身体でお楽しみに向かいたいと思います!
読んでくれてありがとう!
弱気と顔
久しぶりに日記を書いた。
どんなことかは内緒だけど、まぁまぁ弱音を吐いている。笑
最近少ししんどいんだけど、それでも頑張ろうと思えるのは、それが自分のためだけでないからだ。
がんばったその先に、見たい笑顔がある。
その笑顔を見るだけで自分も笑顔になれる。
その人の色んな顔が見たい。
笑顔はもちろん、拗ねた顔、怒った顔、泣いてる顔、酔っ払った顔、可愛い顔、気持ち悪い顔、色んな顔が見たい。
それは、何も外見だけじゃない。
僕にしか見せられない顔がもしあるのなら、それを見たいと心から思う。
僕はその人にしか見せたくない顔があるし、その人にしか見せてない顔がある。
色んな顔を受け入れて貰って、色んな顔を受け入れて。。
有難い存在だなぁと、日々思う。
心の底から、ありがとう。
今はとにかくその人を笑顔にしたいと思うし、その日はすぐそこまで来ている。
だから明日も頑張ることが出来る。
頑張れ俺!!
読んでくれてありがとう!
大切なこと
食べ物を大事にすることとと、愛する人(や他の愛する生き物)を愛することと、自分を愛することは、お互いが深く関係し合っていて、どれかが抜けてもだめだと思っている。
食べ物を大事にすることとは、加工品であれば何が入っているかを考えることであり、生鮮食品であればどこ産のどういう作られ方をしたかを考えることであり、酪農食品(なんて言い方あるのかな?)であれば、どれだけ消費者の健康を慮って作ったかを考えることなんじゃないかな。
ふと思ったんだけど、
「〜はいやだ、〜は食べない」っていう言い方を、俺はずっとしてきたけど、なんとなく違和感があった。
「〜を選ぼう」「〜を食べよう」っていう言い方のほうが、同じことを言っているかもしれないけど、明るくて良い気がする。
今これを書きながら思った。
どの食べ物であれ、そういう本当の意味で頑張っている生産者を選んでお金を払うことが、全てにおいて「為になる」のだと思う。
自分のため、他者のため、地球のため。。
愛する人を愛するということは、相手の立場になって考えて、何が本当の意味で相手の為になるのか、を考える事だと思う。
そこではできる限り自分の価値観を挟んではいけない、と思う。
特に、「これをすると不幸になる」だの「これをしないと幸せになれない」だのは「あなたのためを思って言ってるの!」というのは、大嘘だから聞く耳を持つ必要はないと思ってる。
ただただ、支配欲求を強めているだけの、屈折したエゴだ。
愛する人が困っていたり、明らかに道を外そうとしている時に、手をさしのばしたり、一緒になって考えてあげたりすること、また、寂しい思いをさせないことや、頑張ろうとしている時に背中を押してあげることが、愛するということなのかなと思う。
愛するということは、時には厳しい言葉になることもあるのかもしれない。
とにかく気をつけていることは、自分本位にならないこと。
相手にとって本当にそれが必要か、相手が求めているものかどうかを考えることを心がけている。
そして、間違ってると思ったら間違ってると言うし、こちらが間違っていたら謝る。
相手が家族であれ友達であれ恋人であれ、同じことだ。
自分を大切にするということは、自分の気持ちに嘘をつかず、自分はどうしたいかをきちんと考える事だと思う。
他者の評価ばかりを気にして生きることほど意味のないことはない。
結局それは他人が思い描いた虚像を演じているだけに過ぎないし、言うならば、そうしていれば良いでしょ?あなたは満足なんでしょ?という甘えと、他人を見下していることにもなる。
誰かがやらなきゃその場が回らない!のだとしても、それはそうしなきゃ回らないそのシステムそのものがおかしいのであるから、その時その瞬間どうしようと、遅かれ早かれにっちもさっちもいかなくなる。
システムそのものが変わらない限り、結局は堂々巡りなんだと思う。
少し話はズレたけど、自分をのことを考え、大切にすることができないのに、どうして他人のことまで考えられるのだろうか?
自分を大切にしてこそ、愛してこそ、他人を大切にできるのだと俺は思う。
自分を愛することが、他人を愛することにもつながる。
自戒を込めて。
読んでくれてありがとう!
また!
君と僕
あなたはもう1人の私。
という気持ちで他人と接するようにしている。
具体的には、相手の気持ちを考えたり、想像力を働かせたりといったところかな。
もちろんそういう気持ちでいつもいたいと思っていても相手にしてみたら、なんだよこいつ全然分かってないじゃん、とか、あるいは全然こちらの予期せぬトコロで不快な気持ちにさせてしまうこともあるかもしれない。
残念だなとは思うし出来れば改善したいけど、相手に変わって欲しいとは思わない。
やはり、他人は自分の写し鏡なので自分が変われば、いずれはそのように写るものだと思っている。
だからこそ、出来る限り日々誠実に生きようと思う。
今日を誠実に、今を誠実に。
心のワクワクを大切に。
あらん限りの愛をもって。
あなたはもう1人の私だからね。
あなたも自分だと思って、遠慮なく接してね。
これを読む、全ての人が私の写し鏡です。
ありがとう。
またね〜!
大切なのは今なりよ。。
最近得た観念的なものなのだけど、
毎日をどういう意識を持ちながら生きるか、
について書きたいと思う。
そんなに長くないので。。
人は誰しも明日のことなんてわからない。
もちろん、予定立てたり試験があったりみたいなことは、予測としては分かるのかもしれないけど、でも本当の本当のトコロはわからないものだ。
言ってしまえば、明日死ぬかもしれない。
いや、今日がその日かもしれない。
もちろんそうなる予定もそのつもりも更々無いけれど、そう思うことで、その日をどう生きるか、具体的には、朝起きた瞬間から寝るまでの間に、義務でもなんでも無く、先に延ばしてもなんら影響の無いものや、何気なくやってるけど時間を無駄にしてるだけのものなど、やらなくなるのでは無いか?と思った。
もちろん、一見無駄なことをしてる時に天啓レベルの気づきを得ることもあるからなんとも言えないっちゃ言えないんだけど、本当にどうでも良いことだってあると思うし、その辺は各々で判断すべきところだけど、少なくとも自分の中で「これはワクワクする、これは何にもトキメキがない」と考えることは出来るだろう。
ちなみに自分の場合は、食事の充実と、大事な人に大事だと伝えることに重きを置いている。
本当はもっと色々あるんだけど、とにかくこれだけはしっかりさせたい。
でも、常に明日死ぬって思っていても、それだけじや片手落ちである。
夢も希望もありゃしない。
そこで、俺は一見矛盾するもうひとつの柱を心に建てている。
俺は、明日死ぬかも、というつもりで生きながら自分なりの日々の充実を図りつつも、あと80年生きる!と思いながら、その為に何ができるということと、
今日が残りの人生の最初の1日。
という風に考えながら生きている。
過ぎてしまったことを悔やんでもどうしようも無いし、だったら毎日を更新していく方がよっぽど健全じゃないか、と思ったのだ。
漠然と「あと80年、かつ、明日死ぬとしたら今日をどう生きる?」という中でバランスを取りながら、その突き詰めたところが、「今」をどう生きているか?だと思っている。
過去も未来も想像の産物でしか無く、「今」しか無いからだ。
過去はそれまでの「今」の積み重ねで、未来もまた、「今」の積み重ねでしか無い。
だったら「今」を自分なりの充実で埋めることが、人生を楽しむことなんじゃないか、
そう思うようになってから、人生がより一層楽しくなり、漠然とした不安を抱えることが少なくなった。
久々にこういうこと書いたな。
読んでくれてありがとう!
沖縄で食べた、ヤバ美味バーニャカウダ
またね!