再生産、再構築

最近、大学で受けてる授業の中から面白かったことを抜粋。

日本の教育、さらに言えば社会の仕組みとして、今までの社会に自分をどうにか適合させるタイプの人と、ひずみが起きてしまった社会に対して適合するのではなく、自分に対して社会を適合させていこうとするタイプの2種類に分けられる、とのことだった。
前者を「社会の再生産」といい、後者は「社会の再構築」という。

平常時においては社会は再生産されていくべきだということだった。
なぜかって、そりゃ平和で特に大きな問題もないのにわざわざその安定を壊すなんて、必要もなければあんまり意味も無いことだからだ。
例えば、高度経済成長期などは、それで良かった。
今までのやり方を踏襲して、やればやるほど社会も自分も安定していく、そんな世の中だった。
その逆というか、そうやって社会に合わせていてもダメだろ!自分で考えてなんとか自分の身の周りの環境だけでも変えていかなきゃ!っていうのが、社会の再構築、と言われるもの。

それの最たる例が、明治維新である。
明治維新が良かった悪かったということを言いたいのではなく、松下村塾で学んだ若者たちが中心となって明治維新を成し遂げた。
まさにこれこそが社会の再構築であり、こんな社会で生きられるか!という力がそれをやり遂げた。
ただ、その明治維新をやり遂げ、政府を築いた若者たちはその後、とにかく自分たちみたいな者を出さない為に尽力した。
理由は明白で、250年続いた幕府をたった一つの塾のメンバーが中心となって崩壊させた、同じことを自分達にされてはたまらない、ということだ。

なんのひずみもない社会であるならば再生産が繰り返されれば良いし、ひずみが起きれば再構築されれば良い。
大事なのは、再構築ばかりが起こることでもなく(そんなことをしたら国が疲弊する)、ひずみがあるのに再生産が続くことでもない。(そんなことをしたら国が崩壊する)
大事なのは、ひずみに気づけるかどうかということだったり、そうやって常に社会や政府に目を光らせておくということで、問題が無いなら無いで良いけど、盲目的に鵜呑みにしてはいけない、目を背けたいと思っても背けてはいけない、ということを、毎回学んでいる。
そういうことを教育に落とし込んだ授業を受けているのだけれど、これが本当に面白い。
授業名は「ドイツ語教育方法論」なのに、恐らく英語教育方法論が英語の授業の勉強だけをしてるかのようなものではなく、ものすごくメタな視点から物事を見る目を養わせてくれる。
メタな視点ってのは…上から見てると言えば良いかな。
例えばドラえもんが「この漫画は毎回同じパターンだ」って言うようなものかなぁ。
別にドラえもん出なくて水戸黄門でも良いけどね。
おそらく日本でこんな授業をしてるのはこの授業だけだと思う。
毎回時間を忘れてクラス全体(といっても5人くらいなのだけど)で話し込めて、とても楽しい。
学校は必要か、とか、海外の最先端の教育方法はどんなものか、日本はどれだけ遅れていて、ならばどうしたら良いのか、ということを毎回話し合っている。
毎回ものすごく興味深いので、また何かあれば紹介したい。

読んでくれてありがとう!

最近のこと。

ここ最近のことをちらほら。

学業面では卒論に追われてます。
いや、追われてるというほど切羽詰まった感はないのだけど、自分の場合はそれがそのまま卒論にも繋がるので、暗闇の中を少ない電灯を頼りに歩くような、そんな心細さというか、焦り、あるいは恐怖心みたいなものがある。
とはいえ書くこととか方向性がなんとなーーく決まってはいるので、あとはそこに進む勇気と努力がものを言うのかなと思う。
頑張ります。
そうやって卒論やその後の進路で学んだことを日常に繋げていけると思っているので、スイッチが入る時はがっつり書くことが出来てます。

また、社会や政治、食の安全、医療の問題など、生活に直結することは相変わらずよく考えてます。
大学では教育やメディアに関する授業を受けていて、教育の意義とはなんなのか、メディアリテラシー(情報の取捨選択的なこと)とはなんなのか、考えるとはどういうことなのかを、日々学んでいます。



プライベートというか、それ以外の面では、家で料理をすることが以前にも増して多くなった。

じいちゃんと暮らすようになって、お母さんを手伝うことが増えたり、あとはお弁当を持っていくことが増えたことが大きいかな。
節約のために色々と頑張ってます。
とはいえ、料理はうまくいっても失敗しちゃっても楽しいし、多少の失敗程度なら味は美味しく出来るので、苦では無いんだけどね^^;
ここで苦しいとか言ってられないし、節約も出来てとても楽しいというか、一石二鳥感がとてもあります(^^)
相変わらず手際が悪くて怒られてばっかりだけど、ちょっとずつ出来ることも増えていくし、何より食べてもらえて、美味しいと言ってもらえることがとても嬉しいのです!下手したら自分が食べることよりも嬉しかったりします!笑

それと、大切な人を大切にしています。
意見のぶつけ合いも多いし、衝突することもあるけど、俺は俺で改善していけるし、月並みな言い方だけど、そうしてることで自分が成長させてもらってるなぁと思う。
お互い意固地なところはあるけれど、お相手の方も意固地でありつつもなんやかやすごくお話を聞いてくれるし、とても有難い存在です。
読んで字の如く、有ることが難しいというか、奇跡のような存在です。笑(褒めすぎ?んなこたぁない^^)
こないだはお互いの誕生日ってことで1ヶ月以上前から予定を組んで金沢に旅行に行ったんだけど、衝突はありつつも笑、それも含めてとても充実して楽しく幸せな時間を過ごせました。


俺の中では今日書いたことは全てバラバラではなく、色んな意味で繋がってることなので、その思いがあるから、どれもやってて楽しいし、やり甲斐もひとしおです。

もちろん、どれもこれも難しいことはあるけれど、全てにおいて努力したり考えたりすればする分だけ実感出来る成長があるし、うまくいかなくてへこむことも多いけど笑、その都度、転びつつも良くなっていってます。不安もあるけど、幸せです。

そうやって生きる日々が、楽しくて、幸せでなりません。

読んでくれてありがとう!
またね!

痛みにばいばい

こないだ噛んだ下唇の痛みがようやく引いてきた!

たぶんこれからの人生でも幾度となく噛んでいくのだろうけど、とりあえずは良かった…
自分はどうやら犬歯が人より長く鋭いので、噛んだ時のダメージがデカイみたい。
それに、よく噛む癖がついてくれたので、その分リスクもあるというか、もちろんよく噛むことのメリットに比べたらそのリスクなんて小さいものなんだけど、たまーにこうやって噛むとホント萎えるのよね…
ただ、噛んだ直後、というか、噛んで二日間くらいは別に痛くなかったので、それは本当にラッキーだったと思う。
旅行の初日の夜に噛んだけど、終わるまで美味しいものを堪能し続けられたし(^^)

それにこうしてちゃんと治ってくれたし、トータルで全然オッケーだわ!笑

ブログで書くことなのかわかんないようなことだったけど、心配してくれてた人もいたし、報告ということで!

読んでくれてありがとう(^^)
またね!

金沢旅行

金沢に行きました。

美味しく楽しく、甘美でいてほろ苦く、その全てが絶妙なバランスで成り立っていた、そんな旅行になりました。

色々あったけど、家に帰るのがここまで残念な気持ちになる旅行は初めてです。

あ〜、幸せ。

ありがとう、楽しかったよ。^^

インディアンは7代先のことを考えて、それでは自分は何をすべきが、を決めるらしい。

最近、電車の中でサラリーマンの人のケータイの中をチラッと見てしまうことが多いのだけど、当社調べでは、ほぼ100%がゲームか2ちゃんかSNSだ。
もちろん真面目に本を読んだり新聞を読んだりしている人もいる。
でも、その人たちは本当に少数派だ。

朝起きてご飯食べて電車に乗って(ゲームか2ちゃんかツイッターFacebook)会社で働いて(9〜19.20.21とか)帰って(行きと同じ)ご飯食べて寝る。
休みは趣味や遊びや家庭サービスに費やす。
もちろん"日本の社会人"としてはすごく立派だと思う。

ただ、それでもこの人達はいったいいつ"社会"を"勉強"しているのだろうか。
この国のことや地域のこと、あらゆる社会的な諸問題など、この人達はほとんど全く考えていないのではないだろうか。
自分さえ良ければ、身内さえ良ければ、目先のことさえ良ければ後はどうでも良いのではないだろうか。
そんなことわかってるよ!でも仕方ないだろ!?暇がないんだから!!

…わかってるのにやらないのは、わかってないでやってないのとなんら変わりはない。
天邪鬼な自分は、ふとそう思ってしまう。

何度も言うけど立派だとは思う。
でも、そういう「今さえ良ければ、自分さえ良ければ」なニンゲンには、俺は絶対なりたくない、と、強く思った。

俺は、日本や地球、自分と自分の家族、自分の子、その子ども、そのまた子どもくらいに至るまでを考えて、あらゆる社会問題や健康に関することなどを、これからも勉強していこうと、今、ふと思った。

愛想笑いと陰口

俺は愛想笑いが出来ない。

なんとなくする時もあるけど、ずっとは続けられない。
自分に無理があるし、楽しくないのに楽しいフリとか、面白くないのに面白いフリをするのは回り回って相手にも失礼だと思うから、だ。

もちろん場合によっては愛想笑いが必要な時もあるのだと思うけど、面白い時は面白いリアクションをして、つまらない時に面白いリアクションをしないことの方が相手に対しての礼儀だと思う。

逆に愛想笑いをするっていうことは「笑っときゃこの場を乗り切れる」っていうことであり、そうやって相手を見下すことの方がよっぽど失礼に値すると思う。

だから、愛想笑いはしないしお世辞も言わない。
何人かでご飯を食べてたりしてそういう場になった時、その場にいるのもキツいくらいだ。
全くもって愛がない。
だからそっと離れるし、そんな場にいるくらいなら1人でいた方がよっぽど健全だと思っている。
実際そうしている。


それでその人が離れていくならそれで良い。
そっちの方がお互いの為だし、ちゃんと接している人とは心のこもった愛のある関係を築いていけると思うからね。

その代わり、面白いと思えば素直に言う。

そうやって生きてきた結果、本当の意味で必要とされてるなぁと感じることが多いと思えてる。
もちろん俺のことを嫌いな人っているだろうけど、身の回りにはいなくなった。
だからいないのと一緒。

それと、陰口もすごく嫌い。
わりと思うのが、愛想笑いをよくする人って陰口も多い気がする。
あくまで俺の意見だけど。

つまりは、愛がない人が無理なんだなぁ、と、書いてて思いました。

今日は暇なので更新多めだぜ。

またね!

好きになれない話。

なんか、どうしても好きになれないのが2ちゃん用語。
他人が使ってるのはまだ良いのだけど、なんかのタイミングで自分が使うみたいなことをすると本当にゾワゾワする。

なんJとかは見ることもあるしそういうところで使われてるのを見るのは別になんとも思わないんだけど、それを日常的に使うなよと思う。

ただ、でもまだLINEとかブログとかで使うのは良いと思う。
そういう共通用語とかもあるだろうし、それが1番伝わるのであれば使えばいいと思うし、物によっては俺もふっつーーーに使うし。w
w←とかw

1番きついのは会話で使われた時。
なんだろう、つまんないなぁと思ってしまうんだよね。
会話が本当につまらないし、すげぇイタいヤツだと思ってしまう。

だからこないだ高校の友達が「ワロタァ」とか言ってた時は真顔になってしまった。

以上。